天気予報とはいったい何なんだろう。
明日・明後日、又は一週間等の天気を予報し、世間の皆に判らせるということであるが、
“当るも八卦当らぬも八卦“の占いと同じであろうか。「予報」を辞書で調べてみると、
『事前に推測して知らせること』とある。
確かに過去のデータや現在の気象状況を調べて知らせているので「予報」と言うのだろうが、
「予想」と代わり映えのしないような感じである。
「天気予想」よりも「天気予報」だろうが、
「天気予告」や「天気予見」にどうして成らないのだろうか。
現在では、TV、ラジオ、新聞以外でもインターネットや携帯電話等からもその情報を
入手することが可能なのだが、それにしても当らない。
しかし、スポット的な特定地域の天気予報なるものを民間企業が発表し、
それが商売として成り立っているのも事実である。
例えばプロ野球チームの試合が開催される時、
それを観戦しながら食べるお弁当販売の準備は、
事前に「天気予告」を聞き、全入場者数を予測して、
何個のお弁当を作るのかを決定しなければならない。
ドーム系球場のような施設では関係ない事だろうが、
露天のグランドで雨が降って試合が中止に成ると、
作った商品は全て廃棄処分されることになり、1試合に付き数百万円の損失となる。
簡単に「天気予報」を信じて、
このようなことが数日間あるだけで数千万円の赤字となる為に、
その企業にお金を支払って、
「予告」あるいは「予見」を知らせて貰っているのである。
わたしは気象協会に恨みを持つ人間やその弁当屋をしている訳でも無いのだが、
どうして発表する「予報」がそれ以下の価値しかないのかが不思議なのである。
わたしたちも金銭的な損失は無いものの、
週末の天気で予定や計画を立てたりしている。
しかし、数時間先の天気でさえ当らない場合があり、
これを鵜呑みに信じることは出来ない。
せめて翌日の天気くらいは、100%の確立で当てて、
「天気予告」や「天気予見」に成って欲しいと思うのである。
ところで『降水確率』というのは何だろう。
早朝から雨が降り続けているのに「今日の熊本地方の天気、
今日の降水確率は70%でしょう」などと言われても、
「現在、降ってるんだから、100%じゃん。」と言いたくなる。
調べてみると、『降水確率70%という予報が100回発表されて、
その約70回が1mm以上の雨、又は雪の降る確立』と書いてあるが、
頭の中がパニックになるような、全く解りにくい解説である。
降水確率とは、雨や雪の降る強さや量を表した数字では無く
『1mm以上の雨、又は雪の降る確立』とは知っていたものの、
お天気ニュースを伝えるアナウンサーも現在の外の天気くらい観てから、
発表すればイイと思うのである。
このような周りくどい言い方をしなくても
「降水・降雪の可能性を数値で示したもの」であるなら、
『降水・降雪が降るのか降らないのかの確立』でイイのではないだろうか。
降るか降らないかの確立は「0%」か「100%」の2つに1つ。
「でもひょっとすると雨が降るかも〜」ってところをオマケして「50%」を入れるとすると、
20%とか70%という中途半端な確立は存在しないようになる。
こうなると気象庁は年間の2/3は、『降水確率50%』と表示するだろうが、
ファジーな数値であるために「天気予想」としての満足度がUPすることになる。
とにかく、『時々』、『一時』、『ところによって』、『宵のうち』などと
意味不明の言葉が多いのも天気予報である。
これらの言葉からも世間一般の人々が、
その「予報」に対して信頼度や満足度が低いと言う結果を表している。
煙突の煙がどちらに流されていくのか判らないのに、
上空の状態を予想してお天気を予報するとは大胆なことであり、
予報の信頼度をUPさせる事は困難な事である。
下駄の表か裏かで晴れか曇りを占ったように、
『天気予想』や『お天気占い』と改名すれば、
わたしたちも気にせずに聞かれるのであろうが…。
「本日の天気は、降水確率10%で晴れでしょう。
しかし時々くもりで、一時雨が降るでしょう。ところによっては激しい雨が降り、
宵のうちは晴れでしょう。」
いったい今日はどんな天気になるのであろうか。
=参考=
『時々』とは、予報用語で『現象が断続的に起こり、
その現象の発現期間の合計時間が予報期間の1/2未満のとき』と定義されています。
『一時』とは、『現象が連続的に起こり、
その現象の発現期間の合計時間が予報期間の1/4未満のとき』と定義されています。
『ところによって』とは、
『ある限られた地域で、部分的な地域』を表し、
『宵のうち』とは、『日没頃から21時頃まで』とされています。