携帯電話は、いったいどこまで進化するのであろうか。
 ひと昔前までは、カステラみたいな大きさだったものが、今では二つ折りとなり、
 ポケットの中にスッポリと収まる大きさになっている。
 その機能もただ電話をかけるだけでは無く、インターネットを利用したホームページの閲覧や
 メール通信、GPSを利用した現在位置の特定やデジタルカメラ機能、テレビ電話としての
 やり取りも可能となり、「携帯電話の無い日常生活なんて考えられない」と大多数が
 そう考えているのではないだろうか。

  その当時は、基本料金や通話料が高価だったために、自動車電話と同等又はそれ以上で
 特権階級の一部の人だけのステイタスであった。
 しかし、端末のレンタルから販売によって価格やその料金も下がり、
 様々な機能が付いた関係で利用者が増加し、現在では全国民の2人に1人は
 保有していると言われている。

  現在販売されている携帯電話のほとんどは、
 次世代(第三世代)携帯電話とも呼ばれるもので、
 第一世代のアナログ方式、第二世代のデジタル方式の次に来る携帯電話サービスである。
 このサービスでは、高速データ伝送能力を活かし、
 動画や高音質な音声の転送などが可能となり、
 世界的に規格が統一されることで、現在保有している携帯電話がそのまま国外でも
 使用可能となるのである。

  今では「スマートフォン」が主流になりそうな勢いで、
 ソフトをダウンロードして携帯をカスタマイズしていく風潮にある。
 モバイル系PCの進化版というところかもしれないが、
 その携帯電話の普及が社会問題に発展しているのも事実である。
 携帯電話の保有が中学生や高校生に広がり始めた関係で、
 授業中にメールのやりとりをしたり、「出会い系サイト」に接続し、
 『援助交際』や誘拐、殺人事件にまで発展するケースが多発していて、
 夜遊びや外泊が増える傾向になったり、携帯電話の料金を稼ぐために
 アルバイト中心の生活、恐喝や万引き、売春行為に至ったりするなどのケースもあるようだ。

  公共交通機関の中や病院内でのマナーも問題で、
 使用禁止の張り紙やそのアナウンスが流れても平然と通話をする人々がいる。
 自分自身を優先し、人への思いやりや迷惑である事を気にしないために
 この行動が生まれるのだろうが、身体に医療器具を装着した人々に取っては、
 生死の問題なのである。
 社会の中で生活をしている以上は、マナーは守るのが当然であり、
 これはマナーの域を越えて、ルールとして考えなければならない問題である。

  どうして支払いの出来ない子供に常時それを持たせる必要があるのだろうか。
 周りの友達が持っているからとか、塾に通う際に心配だからとか、
 様々な事情はあるのかもしれないが、この「常時」というのが問題なのである。
 子供にとってなぜ携帯電話が必要なのか、又、その目的は何なのかを考える事が重要であり、
 欲しいと言う品物を買い与えて、優しい親ということを偽善してはならない。
 それらの問題が発生してもそれは子供の責任ではなく、
 保護者の責任であることを肝に銘じておかなければならないのである。

  携帯電話は“モバイル”としての性能を高め、
 一人一台という世界になり、必要不可欠なものとなるかもしれない。
 営業や販売でのTV電話を使った通話や映像情報配信、画像メール、音楽、
 オンラインゲームなどが盛んになって、
 これから先も多種多様なサービスが追加されていくだろう。
 この次世代携帯電話の将来に期待しつつ、
 これらのルールを守れる人間でなければならないと思うのである。