ゴルフ。止まっている白球を打って、ただ穴の中に入れるスポーツ。
 このスポーツがなぜ1ラウンドが18ホールかという理由を知っているだろうか。
 その理由は英国のゴルフの聖地『セントアンドリュース』に起因すると言われている。
 もともとセントアンドリュースには22のホールがあったのだが、
 18世紀中頃になってコース内の一部を市に返還したために18ホールになり、
 その後、各地のゴルフ場がそれを見習ったためだということが最も有力な説である。

  それでは、その9ホールづつをなぜ「アウト」・「イン」と呼ぶのだろうか。
 セントアンドリュースをはじめとする海外のゴルフ場は、9ホールで折り返し、
 残りの9ホールでクラブハウスに戻ってくる設計になっていることが多い。
 クラブハウスから離れていく最初の9ホールが「ゴーイングアウト」、
 そして折り返してクラブハウスに戻ってくる9ホールが「カミングイン」となり、
 それぞれ「アウト」・「イン」と呼ぶようになったようだ。

  しかし、なぜかアメリカでは、「フロントナイン」・「バックナイン」と呼ばれている。
 まるで聖地を踏みにじるような行為だと言えない事もないが、
 どうしてこう呼ばれているのだろうか。
 「誰が誰をさげすむ事も無く、平等に権利を与えられる自由の国アメリカ」。
 そういった意味でこのように呼ばれているのかもしれないが、
 その真意は定かでは無いのである。

  ゴルフは紳士のスポーツと呼ばれ、様々なマナーやルールがあり、
 それは戦い(プレイ)の前から始まる。
 クラブハウスには1時間前には到着し、帽子を着用して襟付きの洋服を着る。
 これは紳士たるもの慌しい様子は見せず、
 帽子を被って三つ揃えのスーツ姿にネクタイを着用していた名残りとして
 ゴルフマナーと成ったものである。

  しかし、最近では帽子を被らず、
 襟が付いてない服装でプレイするトンデモナイ人々が多くなってきた。
 つい先日、TVのスポーツニュースであの憧れのタイガー・ウッズを観た時、
 わたしは愕然としてしまった。
 ナンと襟無しのウェアを着てプレイをしていたのだ。
 いや、その中には襟付きのシャツを着ていたのかもしれないが、
 これもやはりアメリカ国籍を持つウッズだからと言って許してイイものだろうか…。

  「プロ」と言う存在は、アマチュアの手本に成るべき存在でなくてはならない。
 ましてやその仕事をしている場合は当然の事である。
 ティグランドから下りてフェアウェイを歩く時には「咥えタバコ」をしながらは歩かず、
 カップインしたボールは自分で拾うようにしたいものだ。
 そう、尾崎将司の真似をしてはいけないのだ。
 数年前までは日本ゴルフ界を背負っていた男だったが、
 2001年7月15日に米ツアー挑戦2回目の丸山茂樹に初優勝を飾られて、
 あっさりとメジャーデビューをされてしまった。
 海外成績が今一つだったジャンボは、それが凄いショックだったのであろう。
 それからというもの内弁慶であったはずのジャンボも
 TVでさえもほとんど観なくなってしまった。

  全くゴルフ界というものは、不思議な世界である。
 妙チクリンなティンガロンハットを被った片山晋呉が
 「本日の主役!」というタスキを着けて優勝会見をし、
 まるでお笑い芸人のような丸山が「今日も一日、ブイッといこう!」と
 ロケットに乗って好成績を残すのである。
 ゴルフ界に敵無しと言われ、高飛車でニヒルな態度のジャンボよりも、
 明るく楽しく面白い「プロ」が認められているのだ。
 ショットに失敗してクラブを放り投げるより、
 「失敗しちゃった〜♪」の方が好かれるのである。
 わたしたちもプレイ中に自己嫌悪に陥ることなく、
 ほほえみながらプレイができればイイのだが、
 そう甘くはないスポーツがゴルフなのである。

  ゴルフ。どうしてこんなに難しいのだろうか。
 野球は動いてるボールを棒で打ち、テニスはシャモジみたいなもので打つ。
 野球のバットは円錐形だが、当てる場所は手元から先端にかけて広範囲で、
 テニスのラケットは当る面積が広い。
 しかしゴルフクラブは先端の一箇所に限られ、
 しかもそこには白球を当てる面が存在するために
 その面が当る方向が重要なポイントに成ってくる。
 しかもグリーン上に止まった白球はパターで打ち、
 ティショットはウッド、フェアウェイやラフからはアイアンを使用する。
 この3種類の道具が必要なスポーツだから難しいのが当然なのだ。

  ゴルフをやっていると、何年やっても上達しない、
 方向性が悪いなどと言う悩みが尽きる事はない。
 それはこのような特殊ともいえる道具を
 数種類も使うものが生活している周りに少ないためである。
 人間とは、地球上において生物の進化を極めた自然界の王者であり、
 物事を学習し、それを利用できる知的な高等動物である。
 しかし、この高等動物であるはずの人間が、
 その3種類の道具に悩ませられている。
 「今日はウッドは調子イイんだけどアイアンが…」とか、
 「パターはイイんだけどウッドが…」とか。
 いや、もちろんゴルフをしない人間に取っては、全く無縁のことなのかもしれないが、
 ゴルフを愛する者にとっては、これが悩みの種なのである。

  ゴルフを始めるとそのTV中継や雑誌が目に止まるようになる。
 今までなら「どーしてゴルフの中継があるの?。
 マラソンとか野球の方がイイのにィ〜」と思っていたのに、
 日曜日のPM3:00前後からの中継は必ず観るようになり、
 定期的に発行される月刊誌も購入して研究の道具となる。
 アドレスの形やスイングでの下半身・上半身の廻し方、左腕の形状、
 右肘の角度、左足を上げるのか上げないのか、バンカーからの脱出方法、分解写真etc…。
 しかし、本の著者によっては、全く正反対の解説が記載されているようで、
 頭の中がパニックとなって自分のフォームもバラバラになってしまう。

  「自己流がベスト」。今もその番組があっているのかは解らないが、
 ラジオから聞こえていたあのフレーズがここに思い出される。
 人間は自分の頭の中で考え、その決定を元に学習し、
 それを身に付ける事が重要であり、決して猿真似ではいけないのである。
 それらの本を書いた著者には悪いとは思うが、
 購入してまでそれを学習する必要は無く『実戦あるのみ』なのである。
 練習場へはほとんど行かず、コースへは頻繁に行く人に限って小技が冴え、
 スコアはまとまるものだ。
 ウッドもアイアンも自分の方が跳ぶのに、
 ホールアウトする際にはパーかボギーという人がいる。
 それが実に不思議で悔しい現実なのだが、それもまた嬉しい悩みでもあるのだ。
 何故なら、コースを廻る次回への機会に繋がるのであるから…。