ゴルフと出合ってから、もう何年になるだろうか。
 いや、ゴルフと言っても車ではなく、スポーツのゴルフである。
 1989年10月にクラブセットを購入してから、もう丸13年にもなるが、
 相変わらずの腕前で少しの上達もみられない。
 購入してからも1ヶ月間はそのままの状態で、
 練習場に実弟に誘われてようやく行ったものだった。
 しかし実弟の「兄ちゃんは初めてクラブを握ったとね?。
 こりゃマジでセンスいいし、上達するバイ!。
 初心者はこぎゃんは飛ばんぞ。」と言う言葉に胸が踊り、
 それから5日に1度の割で練習場通いをするバカな兄であった。

  お金がかかるスポーツということもあり、
 生活費の事を考えてほとんど毎日のように通っていたパチンコもきっぱりと止めた。
 煙の渦巻くフロアーに座り、数時間も銀玉が弾けるのを観てるよりも、
 新鮮な空気が漂う自然の中で白球を追いかけてスポーツに勤しみたいと考えたからだ。
 いや、実を言うと止めたくは無かったのだが、
 その当時のクラブセット購入もディスカウントセンターで6万円もしたし、
 練習場へ通うのも最低¥1,250以上は必要で、
 車の分割払いに加えてこれ以上のローン返済は勘弁して欲しかったのだ。

  1989年12月29日、御用納めの翌日が、わたしのコースデビューである。
 場所は「菊池高原カントリークラブ」。
 前日の夜は、クラブのソールに付いた人工芝をキレイに取り、
 シャフトに付いた指紋まで拭き取って、
 ウェアもコーディネートして枕元に置いて完璧状態。
 眠るにも目が冴えてしまってなかなか眠れず、起きたのは5時を廻ったくらい。
 スタート時間は9時30分なのに、
 クラブハウスに8時にはすでに到着して、皆を待ってるわたしであった。

  しかし、曇り空の中からチラチラとしたものが降り始め、
 皆が到着したのを合図にみるみるうちに雪が積もってしまった。
 9時前のスタートの組も「何処にボールが落ちたのかすら解らん。
 こりゃ今日はダメばい。」と戻ってくる始末。
 わたしは、「記念すべき初ラウンド。ナンでもイイから廻らせてくれーっ。」と
 心の中で叫んでいた。
 しかし、それからしばらくするとクラブハウスに放送が響き渡り、
 あえなくゴルフ場がクローズとなってしまったのであった。
 わたしの普段の行いが悪いセイか、
 はたまた雨男ならぬ雪男が居るのかは解らないままなのだが…。

  かくして、初ラウンドはそのまま中止だったと思うところだが、
 そうは簡単には諦められない。
 幸運なことに帰宅途中に通過する西合志町には
 「百花園ゴルフ」というショートコースがあるのだ。
 そこで皆に話をして許可を貰い、
 やはり記念すべき初ラウンドの日を迎えることになる。
 しかし、雪の積もり方は少ないものの横から殴りつけるような風と吹雪。
 他の皆は「こりゃ寒かけん、やっぱ止めよう〜」と文句を言う中で、
 わたしだけは身体の中を流れる血液が沸騰するような熱き身体で、
 黙々とスイングを繰り返すのであった。

  ゴルフコースは違うものの、ついに初コースを迎えたのだが、
 成績は惨憺たるものだった。
 狙ったところへは全く跳ばず、空振りダフリも数知れず、
 スライスや引っ掛けまで出る始末…。
 しかし初心者の恐ろしさはここに健在である。
 次の日から猛練習を繰り返し、
 1ヶ月後にあの憎い雪が降り積もった「菊池高原CC」での復活戦を迎えることになる。

  1ヶ月の猛練習で、気分はすでにプロゴルファー。
 練習場で打つ球筋は、その辺りのおっさん(失礼!)よりも遥かに跳び、
 ドライバーでの平均飛距離は260ヤード、
 6番アイアン170ヤード、PWは130ヤードである。
 目標を定めて打っても10ヤード余りしか狂わず、
 人生2回目のラウンドで、早くも「100切り」を狙っているほど自信満々であった。
 「どうしてゴルフっていうスポーツはこんなに簡単なんだろう。ばっかみたい!。」

  しかし、この自信は早々に打ち砕かれた。
 1ホール目はどうにかトリプルボギーで済んだものの、
 ティグランドから打ったボールはPWよりも跳ばず、
 ダフリ・ちょろ・空振り・OBの連続で、カップインした時には15打を越えていた。
 たかがゴルフされどゴルフ。
 そんな甘い考えが通用するほど、ゴルフは簡単なスポーツではないのである。
 ハーフラウンドが終了し、すでにヤル気を喪失したわたしは、
 ただ苦いだけの飲み物を口にしていた。
 本格派ゴルフコースでの「100切り」の夢はモロくも崩れ、
 グロススコア165という散々な結果となってしまった。

  それから半年余りが経過した1990年6月17日、
 梅雨真っ盛りで朝から小雨が降る中、女性2名を連れて
 「トーナンレーク・カントリークラブ」でついに記念すべき日を迎える。
 そう、念願の「100切り」である。
 朝からの小雨はハーフラウンドが終了した直後に土砂降りになり、
 彼女たちからは「どーしてお金払ってまで、
 こんな土砂降りの中でゴルフすると?。帰ろうよー。」と
 文句が出始めていたが、ハーフの成績が「48」であるのに止める訳にはいかない。
 お昼ご飯をオゴり、このゴルフの打ち上げと称して市街へ飲み会に行く条件で、
 ウォーターハザードだらけになったコースに向かって、
 わたしだけが悠々と出ていった。

  雨が川の様に流れる中、白球は軽快な音と供に快心のショットを連発した。
 普段では飛ばないはずのダフリでさえもそのまま振り抜く事ができ、
 グリーンを狙った白球もピタリと止まる。
 雨による作用とは考えもせず、
 「まるでプロじゃん♪」と自分の才能だと誤解しながらも、
 一人舞台ともいえるハーフラウンドは「50」で終了し、
 無事「98」で終わる成績になった。

  雨が良かったのか、それとも2人の女神が居たのが良かったのか…。
 きっと「両手に華」状態でラウンド出来たのが良かったのだろう。
 しかし、ゴルフで支払ったプレイ料金よりも
 打ち上げと称した飲み会にお金がかかったのは事実である。
 ゴルフは紳士のスポーツ。
 紳士は世知辛い価値観にとらわれた関係であってはならないし、
 心の余裕から紳士然とした態度を取らなければならない。
 しかし、いくらゴルフはお金がかかるとは言っても、
 それよりもお金がかかるのはどういう事だろう。
 「100切り」が達成された記念すべき日には成ったが、
 借金が増える事にも成ってしまった。

  現在ではゴルフ人口が激減し、
 ゴルフ場経営業者が相次いで民事再生法の申請をしている。
 わたしも1989年からの1年間は15回も行ったが、
 1998年辺りから現在では、年間に1〜2回である。
 直接的な倒産の原因がわたしのセイでは無いことをここに言っておきたいが、
 生活もままならない状況下でゴルフ場に行く事は無理なために、
 利用者が減るのは確かな原因である。
 財産価値・資産価値としての会員権も値崩れをおこし、
 景気低迷と相まって「預託金償還問題」が
 ゴルフ場経営を圧迫していることは言うまでもない。

  わたしはゴルフ場が好きだし、そこでするゴルフが好きだ。
 この13年間にも各ゴルフ場でのいろいろな思い出がある。
 初めてのパー、バーディ、チップインの時の嬉しさ、
 カート道ボール転送事件、キャディ頭部ボール直撃事件、作業車ボール直撃事件etc。
 それにベストスコアは「91」だから、もっと上達したいと思っている。
 しかし、記念すべき80台でラウンドするのはいつになるのだろう。
 近い将来、年間10回のペースでゴルフを楽しめる日は来るのだろうか…。
 今では1ダース¥980のボールを数セット買い置きし、
 シャフトに付いた錆を取りながら、景気の回復を願うばかりである。

 注)「トーナンレーク・カントリークラブ」は、
 現在「あつまるレークカントリークラブ」と改名しております。